やっと通信に入れたぜ
3日ぶりだ、それまで七転八倒、じたばたしたがな
ま、それはいいとしてこれまでの軌跡をここでまとめておくことにするよ
22日
チンリchinleに向かうがまたもやスタッフカーとはぐれる
チンリまで6時間のライディングで完全単独走行になった
		
		コースは
		89号線、160号線、59号線、191号線
		PAGEで昼飯。マックですましたがなんかライダーひとり旅って感じになってきた 
		
160号線:フォーコーナーズが見えてきたときには「ここがあのナショナルジオグラフィックスに写真が出ていたところか」と写真や地図では想像もつかないほど広大な大自然に胸をすく思いだった。その光景を眺めながらの4時間のライディングはバイク乗りなら一度は経験したいところだ。
		みんなと同じに走っていたのだが・・・なぜかパトカーがUターンしてきて、切符をくれた(まいったな、どうしてか日本人とわかっているらしい、きっと腕に付けてる日の丸が目立つんだろうな)、しかしそのお巡りさんはインディアンであった。そこで「この人が遠い昔の先祖なのかあ、いやお久しぶり」と心でつぶやいた。がしかしこういう形で再開するとは思わなかったな、なんてばかな妄想をうかべながら荒野の真ん中で黄色い紙にサインした。 
		
59号線:
		インディアン居留地区に入ったらしく、景色の中に1kmほど離れてぽつんぽつんと家らしきものが立ち並び、中にはテントが隣接してある家も100軒に1軒ほどあった。風力発電なのか風車が「バグダットカフェ」を思わせる 
		
191号線:チンリに着いてみると、スタッフ連中の車が見当たらない。携帯電話をかけようとしたら「searching・・・」となって圏外でつながらない。仕方がないからホリデーインに宿を取ったがどこに泊まっているわからない。インターネットでメールを読もうとしたら回線が特殊でつながらない。万事休す。仕方がないから暇決めて寝た。
23日
早朝午前5時からCANYON DE CHELLYのSPIDER ROCKに行って、ひとりでいた。
		
		幻想的だった
		ナバホインディアンの詩
		"I am indeed its child
		Absolutely I am earth`s child"
		我々は大地の子
		ほんとにそう思えた
		午前9時頃まで一人でいたが、数々の幻想物語を作りながら谷間から一本だけのびた巨大な石の柱にのふところにいた。
		この石を登ったやつはいるのかな?インディアンは登ったのか?モヒカン頭はこの石に何を願ったのだろう?ジェロニモはここを幾度通ったのかな?騎兵隊相手に一人で戦った戦士にエールだ。オレの先祖もなかなかやるじゃないか・・・ 
		
スタッフ連中を探して周辺を走ったが見つからないので、チンリを後にしてフラグスタッフに向かった。回線も携帯電話も繋がると思ったからだ。
		ルート
		191号線、264号線、87号線、40号ハイウエー
		191号線から264号線にはいるガソリンスタンドでタコスバーガーを食べているとインディアンの青年が話しかけてきた「いいバイクだね、どこ行くの?」
		「ホピ族に会いに行くんだ」
		「なんで??」(なにをしにそんな誰も行かないところに行くんだ?)
		「君は知らないだろうけど、ぼくとホピとはむかーし共に暮らしていたんだ」
		「・・・・」(お前何言ってんだ????)
		「どのくらいかかる?」
		「時間は1時間ぐらいだけど道は危険だよ、このバイクならいけそうだけど」
		「ありがとう、またな兄弟」(危険ってなんだろう?不安だな)
		「グッドラック!」 
		
1時間ほど走るとホピセンターがあったので、そこの方と30分ほど話をした。
		日本人の先祖だといってもピンとこなかったようだが、その温和でやさしい人柄には心がなごんだ。
		そこから50kmあたりの道路周辺にはホピ族の村があった。なんの変哲もないところに一人座って、ぼーっと地平線を長い間眺めていた。どこからともなく少年がやってきて10mほどはなれた材木の上で同じように地平線を眺めていた。
		「ぼくは東の方から来たんだ、昔々ぼくたちはこうして一日中地平線をながめていたんだよ、そして一生を共に終えたんだ、僕の気に住んでいる仲間は忘れているけどね」と心の中でつぶやいた。それだけで十分だった。すると少年はすっと立って、こちらを見るでもなく西の方へ歩いていって、やがてどこかの家に消えていった。
		ただそれだけだった。
		
		87号線に入ると対向車線からの車はなくなった。四方が地平線の真ん中を一本の道がまっすぐのびている。
		遠くに砂ぼこりが見えた。
		アクセルを開けて55マイルで巡航
		風が強く、ときおり横殴りの風が400kgのバイクと僕を1mほど右へ左へと揺さぶる
		たがて行く手に砂ぼこりが姿を現した
		「竜巻だ」
		それはテレビで見た上下が広がっていて天までのびているヤツではなくて、なか太りの300mくらいのやつだった
		「怖い、危険だ」
		引き返したかったがガソリンが底を突く寸前だった。後方100kmにはスタンドはない。
		30km行けば40号Winslowだ、行くしかなかった
		竜巻は左前方動く気配なし
		55マイルで突っ込んだ
		前進を突っ張り、ニーグリップの変りに満身の力を込めて足をステップを押し込み、あらんかぎりの腹筋と背筋を絞って、頭を低く構えて風の影響を最小限に抑えながら30分ほど突っ走った。
		なんどもプロレスラーの体当たりみたいな空気のカタマリが襲ってきた。
		その度にバイクもろとも路肩まで飛ばされた。
		一番でかいやつは相撲取りの体当たりみたいなやつで思わず「うわあー」と叫びながら3mほどもってかれた。道路の外の草原まで1cmなかった気がする。
		そんな真剣勝負をしているのに、なぜかぼくは頭の中で「デビルマン」の歌を口ずさんでいた
		Winslowに着くとガソリンは空っぽだった、予備タンクも使い果たした
		全身筋肉痛、目が充血していた
		後ろを見るとホピの方向に月が上がっていた
		相棒となったDS11にまだ名はなかったので『月光』とした
		タンクを軽くたたいて、一路FLAGSTAFFに向った
		宿をさがしてロビーで予約すると、一郎から電話「じゃあ、明日そっちに行くよ」
		あとは泥のように眠った
		
		
24日:スタッフが着くまでインターネット回線のアクセスと格闘していた
		
		・市外電話でもぼくのクレジットカードで引き落としが出来るように電話回線を開けてもらう
		・電話機の横にDATAポートがあり、そこにモデムケーブルをつなげなければ回線が通らない
		そこまでやったら、こんどはPC内のモデムにプロバイダー IDとパスを送らない状態になった。
		
		こんどはネット
		
ワークと戦いだ。持参したPCを断念して、予備機に切り換えることにした。
		
		これからセドナに行ってくることにした。
		
		そこはニューエイジのメッカでヒーリングポイントがある
		
		お払いがてらにちょっと行ってきます。